「働く」の新定義
「働く」の定義が今変わろうとしてる。
およそ20年前、インターネット普及率は10%とまだまだ”発展の可能性”の域を出ていなかった。
それが、通信インフラの発達、プロバイダの普及により爆発的にネットユーザーが増加したこと、また、インターネットを活用することで疑問を解決できる情報インフラを提供する事業者が生まれたこと、そして、利用者がその利便性の高いサービスに気づいたこと。
この健全な連鎖反応が、予想も出来ない程に凄まじい勢いで進み、今では日本国内で84%の普及率となり、インターネットは生活に無くてはならないものになっている。
この革命が一旦落ち着いたところで、次はこの環境をどう活かすか深掘りしていくフェーズに入るのだが、深掘りをすればする程まず変化を求められるのは労働者だ。
そして、今まで新しい革命が落ち着いた時に必ずと言っていい程、「働く」の定義が見直されてきた。
昨今騒がれている「働き方改革」や「AI活用」は正にそれだ。
「働き方改革」は一目すれば労働者を守るための改革のように聞こえるが、見方を変えれば労働者の存在意義を問うための下地作りだ。
労働時間が減った、休日が増えた、家族と過ごす時間が増えた。など、嬉々する声が多く聞こえてくるが、それは非常に短絡的な受け取り方と捉えられる。
全てが同じ法則に当てはまる訳ではないが、労働時間が「働く」の定義の最重要ポイントなのは変わらないからだ。
現状の仕組みのまま改革が進めば、労働時間はテクノロジーに代替されてしまい、ヒトは「働く」ことの付加価値を失う。
そうするとどうなるか。
答えは単純で、労働時間が減ったのであれば、給与は減らす。ということになる。
給与が減れば、折角余裕が出来た時間も有効に使えず、また新たな不満が生まれる。
それは、「働きたい」という不満だ。
今まで散々働かないためにどうすれば良いか考えてたのに、今度は働きたい。となる。
ただ、落ち着いて考えてほしい。
この状態に陥るのは、今の「働く」の定義のままならの話だ。
であれば、「働く」の定義をどう変えればその理不尽な行く末を変えることが出来るか。
それはまたシンプルで「稼ぐ」ということを新たな定義とすることだ。
今までは労働力の対価として、給与を支払うことが「働く」ことの定義だったが、仕組みを作り、仕組み通りに動くのはテクノロジーに代替させ、いかに労働力を無くして「稼ぐ」か。
この新しい「働く」の定義を用いることで、「働き方改革」が労働者を守る本質的な改革として機能する。
ただ、問題なのは仕組みを作る人材は今の「働く」の定義に沿って労働している人の中では稀有な存在であることだ。
今の一般的な組織構成上、仕組みを作る人材はその多くがマネジメント層であり、国内のマネジメント層の割合は約20%と言われている。
その20%の中でも「稼ぐ」仕組みを作れるのは限られているため、新たな定義で本当に活躍できるのは極めて稀有な存在となる。
これからAIが発展し、レガシーな人材は時代に取り残され、「働く」ことに対する意義を根本から変えなければならない時代がやってくる。
もし、それに該当すると感じるなら、仕組みを作れる人になるための工夫が必要になり、またそれを強いられるタイミングは唐突にやってくる。
そのため、時代の変化を先んじて捉え、「働く」ことの定義が変わる前に、多くの新たな定義に向けての備えをしていかなければならない。